なぜ人間の目は二つなのか?

なぜ人間の目は二つなのか?

なぜ三つではダメなのか?

この問いに私はついに自己満足する解答を得ることができた。

多少理屈っぽい所もあるが、理解していただけたらこりゃ嬉しい。

では、さっそく解説していこう。

まず、人間の目は基本的に上下の動きは同調する。つまり、視線は同一平面上にある。(図1を見よ)

ここで、ある物体を見つめている時の視線を表す図を描く。(図2を見よ)

同一平面上にある二直線は、平行であるか、交わるかのいずれかである。そして、直線(視線)同士の交点に対象物がある。逆に、視線が完全に平行である状態は考えにくいので、必ず(即ち、意図しなくとも)何処かに視線の交点がある。

ここで、同一平面上に三つの視線があった場合を考えてみる。この場合、交点が三つ存在し得る(図3を見よ)。交点をひとつにまとめるためには、眼筋を上手く調節しなければならないが、二つの目でも、眼筋が常に微動しているため同一点を捕らえ続けることが困難であるのに、三つの目では非常に困難であることが推測される。

「交点が三つのままで問題があるのか?」

との声も聞こえそうだが、一つの画像を把握する為に認識や深視等の処理を行っている脳に三倍の負荷をかけると大変な負担にならないだろうか?

よって、人間には三つ以上の目は不要である。

これを受けて、少年「ジャンプ」誌に人気連載されていた「竜の玉」に出ていた三つ目キャラ‘天津飯’というキャラクターについて考えてみた。彼の三つの視線は同一平面上にすらない。即ち視線にねじれの関係も生まれ得る。画像を受けた脳はフル回転だ。おそらくつらかったのであろう、ある日彼は発狂してしまった。そして、あろうことか彼の熱心なファンである‘ランチ’なる娘を撲殺してしまったのだ!これが後半から‘ランチ’が出なくなった理由である。‘天津飯’が‘餃子(チャオズ)’と修行していた、というのは精神修行だったのだ。自分のうちなる狂気を抑えるための。

図1

図2

図3

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