意味なし
今日は鼻血がでた。
悲劇のヒロインが血を吐いて事切れるパターンは漫画などでよく見るが、止めどなく流れる鼻血で衣服を赤く染めて絶命するシーンは殆どない。やはり滑稽に見えるからだろう。しかし、出血本人は、けっこう焦る。俺だけではないはずだ。『何故だ?』『脳にダメージか?』『もしかして俺・・・』『自然葬がいいなあ・・・』(それよりティッシュを鼻に当てろ、と言いたい。)と、ちょっとしたパニックに陥る。とたんに身動きが少なくなる(固まる)。蛙が蛇の前で動けなくなる心理をかいま見るのだ。俺が高校生のころ、自分以外の人も同時に固まったのを見たことがある。鳥堀のバス停(某県某市)でバスを待っていた俺は、前を通りすぎたおじいさん(ぼくの曾祖父ではないゼ。)が突然倒れてピクピクけいれんを起こすのを目撃した。『マズイぞ、オジイ。』と思った。そのときの目撃者は十人を下らなかったはずだが、みんな爺さんに熱い視線をなげかけるだけで、だれも動かん。10秒を回ったころ、50代に見えるおっさんが、『おじい、大丈夫ねえ?』と、緊迫感があるのかないのか分からん口ぶりではなしかけた。依然ピクピク状態お爺さん。大丈夫ではない、大変である。ただならない空気があたりを包む。もう一人の50代が公衆電話に向かう。皆さん狼狽の表情丸だし。と、お爺さんが不意に立ち上がり、『大丈夫ですか?』の声をよそに倒れる前と同じようにあるきだした。大事に到らんくてよかったね。この間、約1分。皆さんは殆どお互いに視線のやりとりをするだけであった。結構アクシデントに弱いんだなあ。すきをつくのは、争いに於いて非常に効果的である。(図1を参照されたい。)アメーバやミドリムシ等は、その点クールである。彼等には、動揺する心がないのだ。いわば、原始の持つ強さである。これは、社会についても当てはまろう。豊年凶作、とゆうのがある。幼いころはまったくわからなかった。社会が複雑な仕組みを持つようになったからこその言葉である。昔の人は思うだろう。『作物がたくさんあって何がいけない?食うものに困らなくていいじゃないか。』停電、公害等もまた然り、である。
<続く>
図1:これからあの人とデート。ちょっぴりドキドキ。 『ゴメン、待った?』『待ったなしだ。』 戦う前から勝負は決まっていたといえよう。 このように、心理的に 戦闘状態にない者の息の根を止めるのは、非常に容易い。
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